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東京地方裁判所 昭和43年(ヨ)2252号 判決

申請人

岡田美枝子

代理人

東城守一

外二名

被申請人

日産自動車株式会社

代理人

橋本武人

外二名

主文

申請人が被申請人に対し、労働契約上電話交換手としての地位を有することを仮に定める。

申請人のその余の申請を却下する。

訴訟費用は、これを二分し、各一を申請人、被申請人の負担とする。

事実《省略》

理由

第一申請人主張の申請理由第1ないし第4項(編注、採用、電話交換手の業務に従事、病気による休職等)ならびに会社が申請人に対し、昭和四三年三月一日復職を命ずるとともに、荻窪総務部課所属として、三鷹工場勤務を命じたことおよび同工場における申請人の担当すべき業務が同総務部総務課員の牛乳、食事の注文、郵便物の配達等の雑務であることは当事者間に争いがない。

第二そこで、電話交換手として雇われ、三鷹工場分工場で電話交換業務に従事していた申請人に対し、右のように本工場でこれとは異なる業務に従事することを命じた本件配転命令の効力につき検討する。

一前示のように申請人が電話交換手として雇用されたものであることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、申請人と会社の労働契約上申請人の提供すべき労務の種類は電話交換業務と特定されて、その内容をなしていたことが認められ、これに反する疎明はない。

二そうすると、申請人に対し、電話交換業務以外の業務に従事させるには、それについて申請人の同意ないし就業規則の規定がなければならないこととなる。被申請人は、本件配転命令が会社の就業規則を構成する休業規程を根拠とするものであることを主張するが、その休業規程の効力につき争いがあるので、その点を判断する。

〈証拠〉を併せ考えれば、会社はプリンス自動車を吸収合併したことにより、プリンス自動車に属していた事業部門であるプリンス事業部にも会社の従前の就業規則を、その一部を除き適用することとなつたが、就業規則等の社則類を再版し、昭和四一年二〇日頃全部署長にこれを配布するとともに、右事業部関係については部署長から管下従業員にこれを周知するよう指示をなしていること、休職規程は、従業員就業規則第五四条第二項を承けて制定されたものであり、右配布された社則類に含まれていること、三鷹工場の場合は、その頃三日間にわたり本工場の朝礼で、庶務課長から従業員に対し、配布を受けた社則類の説明が行なわれていることおよびその後は、右社則類は同課長席近くの戸棚の中に収録され、従業員の閲読を妨げないようになつていることが認められ、他にこれに反する疎明はない。

しかして、就業規則は、法的規範としての性格を有し、これが適用される事業所の従業員一般に対する周知方法が講じられたとき、その効力を生ずるものと解するのを相当とするが、右認定事実よりすれば、申請人の所属する三鷹工場の従業員一般に対する右社則類の周知方法は昭和四一年八月二〇日頃講じられたものと認めるのを相当とし、そのときすでに、申請人は休職規程の適用を受けるに至つたものというべきである。

そして、当時、休職規程が申請人の属する組合(組合に申請人が加盟したことは当事者間に争いがない)に送付されていなかつたとしても、また、申請人の供述するごとく、申請人が休職規程の内容を現実に知悉していなかつたとしても、そのことは右認定を左右するに足らず、休職規程の効力の発生を妨げるものではない。なお、組合に対する送付が申請人に対する休職発令と同時になされていることは、申請人の自陳するところである。

三〈証拠〉によれば、休職規程第八条に「休職者が前条の規定により復職した場合には、その配属に関しては新たにこれを決定する」と規定されていることが認められる。しかし、同規定の文理からは、当然に、復職者を労働契約の内容となつている職種と異なる業務に従事させることができる権限までを会社に与えた趣旨に同規定を解釈することはできず、また、疎明上そのように解釈するに足りる資料も見当らない。

被申請人は、同規定をもつて、職種の変更を含め、復職者の配置を新たに決定することを内容とするものと解し、業務運営上当然の事理を定めたものと主張する。なるほど、被申請人主張のように、休職者を除外した新たな業務体制の確立、または、病気休職の場合、復職者の健康上不適当ということにより、復職者を休職前の業務に就かせえない事態が生ずることのありうることは首肯できるとはいえ、同一職種の範囲をこえて担当業務の変更を要する事態がそうやたらと生起するはずもなく、そのような特別の場合は、職種の変更について復職者の同意を得ることは容易と考えられるのであつて、休職規定第八条の規定を職種の変更を含む配転権限を認めたものと解釈しなければならない必然性があるとはいいえない。

四さらに、たとえ、休職規定第八条を右のような配転権限を会社に与えた規定と解釈すべきものとしても、その権限は無限定に認められるものではなく、自ら被申請人主張のようなその必要性が肯定される合理的な範囲に限られるとともに、その行使の具体的事情によつては、権利の濫用としてその効力が否定される場合のあることはいうまでもない。

もともと、休職制度は、従業員に就労するについて回復可能とみられる障害事由が生じた場合に、従業員の身分をそのまま保持させながら、就労義務を免除ないし就労を拒絶して事態の推移をまつものであるから、障害事由の消滅により、他に支障のあるときは別として、旧に復すること、すなわち休職者を元の職場に復帰させることは休職制度一般の趣旨とするところというべきものである。休職規程による会社の休職制度の趣旨がこれと異なるものとは認められない。

それに、労務ないし労働の種類は特定の資格、技能と結び付くこと多く、そのような場合、熟練年数は労働力の経済客観的価値を高めるものとなり、また、労働者が労働に見出す意義すなわち主観的価値は労働の種類に左右されること大であつて、労務の種類の変更は不慣れによる精神的肉体的負荷の増大その他の労働者の利益を著しく害するおそれのある事柄といわなければならない。

五〈証拠〉を併せ考えれば、本件配転をめぐり次のような事情のあることが認められる。〈証拠判断省略〉

(一)  申請人は水腎症で、昭和四二年一〇月二日武蔵野赤十字病院(以下日赤病院という)に入院し、同月五日左腎孟尿管形式手術を受け、同年一一月五日退院したが、尿路感染が治癒しないため、その後も通院して治療を受け、服薬もしていた。同年一二月一二日担当医師から示唆され、翌年一月の仕事始めから出勤することにして、翌一三日から三週間の安静を要する旨の診断書を貰い、同日夫(申請人の夫勲も会社に勤務することは当事者間に争いがない)を通じて、会社にこれを提出するとともに、同月一四日荻窪総務部人事課へ電話で、一月から復職したい旨申し出た。昭和四三年一月六日右人事課へ再度電話したところ、会社の指定病院である荻窪病院で診断を受けるよう指示され、その指示どおり、まず同月一六日日赤病院で担当医師の診察を受け、同医師に会社における後記電話交換手としての実働時間等を説明したうえ、軽作業に従事して差支えない旨の記載のある診断書を得て、これを持参して、翌一七日荻窪病院で診察を受けたところ、医師から、季節が悪いからということで、さらに一ヶ月の休養を薦められ、それに応じた。同年二月一四日改めて荻窪病院で診察を受けたが、今度は、同年三月一日から復職可能と診断された。その際、作成された復職診断書は、申請人に見せられることなく、同病院から会社に出されたが、それには、従事していた業務として「交換手」、復職後の勤務に対する注意事項として「定時勤務差支えなし(但し6ヵ月間残業禁止)」と記入されていた。右残業禁止の注意事項は、その期間も含め不動文字で記入され、冒頭の数字を丸で囲むようになつているものである。申請人の病状は、前年一二月に腎臓自体については治癒したものと最終的診断が下されていたが、尿路感染が治癒しないため、昭和四三年九月までに二週間に一回検尿のため通院し、服薬も続けていた。しかし、復職後、感冒で欠勤した以外は病気欠勤したことはなかつた。

なお、申請人は、生来眼が弱く、細かい文字で書かれた文書を取扱う業務には適さず、そのことが電話交換取扱者の資格を取つた理由ともなつている。

(二)  三鷹工場の電話交換台は本工場に二座席、分工場に一座席あり、それぞれ一時間交替勤務で本工場は四名、分工場は二名の交換手によつて電話交換業務が行なわれていた。

申請人の休職前、分工場では申請人のほか太田初子が電話交換手として勤務していたが、同人は昭和四二年一二月に本工場の業務が村山工場に移管することにより、本工場の電話交換手が一名余ることとなるので、それまでの継ぎに臨時雇として雇われていたものである(これらの点は当事者間に争いがない)。

前示申請人の病気欠勤中の昭和四二年一一月初頃、現場長から同人の本採用につき上申がなされ、それに基づき、会社は、昭和四三年一月一日付で同人を本採用した。それで、申請人の復職時には、分工場の電話交換業務は同人と、本工場の業務移管により同工場から配置換えとなつた馬橋ハル子の両名で担当していた(この点は当事者間に争いがない)。

電話交換は、分工場では二名の定員が充足されていたが、全体的には不足しており、村山地区で昭和四三年一月頃五名、荻窪地区で同年一〇月頃二名それぞれ新たに採用している。

(三)  分工場の電話交換業務は二名の交換手によつて担当されていたこと前示のとおりであるが、その二名により交替で週二日ないし三日一時間ずつの残業を行なうことが常態となつていた(この点は当事者間に争いがない)。しかして、右残業はいわゆる法内残業であり、前示のように電話交換業務は一時間交替勤務のため、残業のあるときで、実働時間は五時間であつた。

なお、一時間交替勤務は、他所に比較し幾分ゆとりのある勤務形態であり、また、本工場では残業は行なわれていなかつた。

(四)  申請人は、復職後本工場勤務となることについては、事前に、少しも知らされず、昭和四三年三月一日荻窪総務部人事課において同課長池田福二からそれを命じられて、初めて知つたが、電話交換手として働きたいということでこれを拒否した(本件配転命令を申請人が拒否したことは当事者間に争いがない)。その際、申請人は、配転理由の一つとして前示定員充足の点が上げられたので、同人事課長に対し、欠員が生じた場合は申請人を電話交換業務に就かせるかどうか尋ねたが、返事を得られなかつた。同日、会社と組合間で団体交渉が行なわれることとなつていたが、右申請人の配転問題が生じたので、この問題が急拠議題に採り上げられ、団体交渉が行なわれた。その席上、会社から申請人の健康状態が本件配転理由として指摘されたので、組合は、申請人にその点を確かめた上、翌二月および同月四日団体交渉を続行した。

右交渉によつても、会社の意向を変えることはできず、右四日の団体交渉では、将来三鷹地区を含め荻窪地区で電話交換手の欠員が生じた場合、申請人を優先的に充てるということで妥協を図ろうとしたが、会社からにべなく拒絶され、解決をみることなく終つた。

(五)  三鷹工場本工場における申請人の担当業務は、同工場勤務の荻窪総務部総務課員の牛乳、食事の注文、郵便物の配達の雑務(この点当事者間に争いがない)のほか多少の文書事務が含まれるが、仕事量が少なく、手持無沙汰のため、申請人あるいは組合から申請人に仕事を与えるよう要求して、それまで電工が作成していた電力日誌の作成に従事したことがあつたが、細かい数字を記入するという作業であつたことから、眼精疲労に陥り、間もなく中止した。

右雑務は、申請人が配転されるまでは、いわゆるアルバイトを雇つて行なわせ、それがいないときはいないで適宜処理されていたものである。

以上のとおりの事実が認められる。

六前項で認定の諸事実に基づき、被申請人主張の本件配転理由につき検討を加えるに、まず、定員充足の点であるが、会社において臨時雇であつた太田初子を本採用するに当つて申請人の早期復職の可能性を考慮したと認めるに足りる疎明はないのみならず、却つて右本採用前申請人からなされた復職申し出が無視されている。たとえ、それがなんらかの手違いにより人事決定権者にまで伝わらないというような事情があつたとして、その点は暫くおくも、会社の適正な人事(〈証拠〉によれば、会社は就業規則により転属の権限を留保していることが認められる)の行使により、申請人を電話交換業務に従事させることは楽にできたことといわざるをえない。

次に、申請人の健康状態であるが、日赤病院および荻窪病院での各医師の診断は電話交換手として復職可能と判断しているとみざるをえないのであり、申請人が会社における電話交換業務に健康上不適当であつたと認めるに足りる疎明は見出せない。証人池田福二の証言中、電話交換業務は神経を使う仕事で、かつ、残業もあるのに、申請人は服薬中であり、腎臓は完全に直るまで長くかかるから不適当と判断した旨の供述があるが、全くの素人判断というべきであり、素人判断であるならば、当の本人である申請人のそれの方が遙かに優るはずである。

残業の点についても、残業禁止の診断はかなり形式的なものとみることができるばかりでなく、前示のような残業は格別厳しい勤務ということもできない。それはともかく、残業の性格からして、残業ができないからとて、少くとも、申請人の場合のようにそれが正当な事由に基づき、かつ、一時的なものである限り、それを理由に、直ちにその者を当該業務から排除することは許されず、これに代る適宜な措置を講ずべきものといわなければならない。

さらに、本件配転後の申請人の担当業務についても、その量および内容からすれば、いわゆるアルバイト向きの仕事というべきものであつて、申請人が病後だからといつて適当であるといい切れるものではない。また、会社において、申請人でなければ右業務を担当する者がないといいうる事情にないことは明らかである。

以上のように、本件配転は業務上の必要性も申請人の健康上からくる必要性も格別ないのに、一定の資格を要する、高度のものでないとはいえ、一種の技能労働者として申請人の有する利益に対し配慮することなく(会社はその主張する障害が消滅する将来の時点においても、申請人の希望につき配慮することを頑なに拒んでいる)、出されたもので、不当に右利益を侵害し、かつ、その発令の過程においても誠意を欠くものというべきである。

そのような本件配転命令は、前記説示の配転権限の認められる合理的範囲を逸脱するもの、そういえないとしても、その権限を濫用するものとして、爾余の点を判断するまでもなく、無効というのほかない。

七いずれにしろ、本件配転命令が無効であれば、申請人が会社との労働契約上提供すべき労務の種類は、依然として、電話交換業務である、すなわち電話交換手としての地位を有するといわなければならない。

ところで、〈証拠〉によれば、休職規程第六条第一項に「休職となつた者……は休職となつた日から本社にあつては人事部人事課、工場にあつては当該工場における人事課にそれぞれ所属させる」と規定されていることが認められるが、右規定による所属の変更によつては、労働契約の内容をなす労務の種類は変更されるものではないと解するのを相当とするから、〈証拠〉による、申請人の所属は前示休職の日に荻窪総務部人事課となつたことが認められるにしても、右結論に影響を及ぼすものではない。

第三次に、保全の必要性につき検討するに、前示のように申請人は、電話交換取扱認定規則(昭和二八年日本電信電話公社公示第一五一号)による認定を受けた電話交換取扱有資格者であり、かつ、二年以上の交換取扱経験者であることは当事者間に争いがないところ、公衆電気通信法(昭和二八年法律第八七号)第五三条第三項によれば、一旦資格認定を得ても、引き続き三年以上電話交換業務に従事しなかつたときは、右認定が失効するものとされており、他方、右認定規則第六条によれば、二年以上電話交換に従事した者であれば、資格試験のうち技能試験が免除され、学科試験のみで再度有資格者となる途が開かれていることは明らかである。しかし、試験である以上つねに合格するとは限らないこともちろんである。のみならず、そのように一定の技能、知識を要する職種であつてみれば、その業務から離れることによる技能の低下、知識の散逸、陳腐化その他前示のような職種の変更による労働者の不利益は申請人も被るものと認められ、それが長期にわたればわたるほど、申請人の被る損害は著しくなるおそれがあるものと認められる。〈証拠〉によれば、申請人は本件配転後も、残業による割増賃金を除き、電話交換手として勤務する場合と異ならない賃金を得ていることが認められるが、それのみによつては右損害はカバーされず、右判断は左右されない。

しかし、残業による割増賃金一ヶ月当り金一、三二〇円については、同賃金請求権の成否は暫くおき、当事者間に争いのない、会社から支給を受けている申請人の賃金およびその夫の賃金の合計が金五七、〇九〇円(〈証拠〉によれば、昭和四四年七月分は手取額で合計金六一、二〇〇円となることが認められる)であることからすれば、右千数百円の金員といえども申請人らの生活上軽視できないものとはいえ、いまだその支給を受けないことにより申請人の生活が窮迫状態に陥り著しい損害を被るとまでは認めるに足りない。

第四よつて、本件仮処分命令申請は、申請人が会社との労働契約上電話交換手としての地位を仮に定めることを求める範囲において理由があるというべきであるから、保証を立てさせることなく、これを認容し、その余は失当としてこれを却下し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用して、主文のとおり判決する。(豊島利夫)

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